予防接種
今日はインフルエンザの予防接種を受けてきました。病院に行ったのも久々ですね。
例のウイルスの影響でなんか病院に行くのが怖くて行かないようにしてたんですけど、さすがにめちゃくちゃ対策されてましたね。入ったところでガッツリ消毒と検温されました。当たり前っちゃ当たり前なんですけど。
あんま関係ないんですけど店とかの入口で検温されるのに未だにあんまり慣れないんですよね。なんか試されてる感じがするというか、家で体温測るの忘れてたりすると、「これで熱あって入れなかったらどうしよう」みたいな気持ちになってしまって、その緊張で逆に体温が上がってしまう気がします。まあお陰様で半年以上熱出してないんで大丈夫ではあります。
そんな検問も乗り越えて予防接種うけたんですけど、驚いたことが二つありました。
1つ目は問診票を書いている時に気づいたんですけど、誕生日の元号に丸をするところに令和ってあったんですよね。これも冷静に考えたら普段の生活で書くような書類とは違って、病院は令和に生まれた赤ちゃんも来る可能性があるので当たり前なんですけど、平成が最新のまま人生のほとんどを過ごしてるので改めて見て結構びっくりしました。令和元年は年度の途中で始まって、令和2年はこんな状況でぬるって過ごしてるのであんまり令和っていう感覚がないんですよね。
もうひとつ驚いた事は注射をうってるときに起こりました。担当してもらったお医者さんがめちゃくちゃ魚顔の手が若干震えてるおじいちゃんだったので、大丈夫かなぁと思いながら診察を受けてたんですけど、実際にうつ時になって注射を持ったのが看護師さんで安心してたら気づいたら注射が終わってたんですよね。
こういうこと言うのは恥ずかしいんですけど、注射はあんまり得意じゃなくて針抜く時とかに痛くて力が入ってしまったりするんですよね。そんな僕がほとんど気づくことなく注射が終わったのでとても驚きました。
もちろん看護師さんが上手なのもあると思うんですけど、意識しなかった理由として、注射をうっている間にお医者さんが注射の後の注意事項を話していてくれたんですよね。それに受け答えするのに、意識を割いていて注射に注意が向かなかったというわけです。最初はめちゃくちゃ舐めてた人がプロの技を見せてきてめちゃくちゃ感心しました。
そんな予防接種の話でした。この時期体調崩しがちだし、インフルにもよくなるので気をつけたいですね。
どうでもいいんですけど新しいMIX作ったので聴いてください。
掃除
今日は家にゲーミングチェアが届いたので、組み立てた後に、前使っていた椅子を処分するついでと思って家を掃除しました。一応昨日の夜にも片づけを軽くしたので2日がかりですね。掃除機やモップをかけたりするくらいはしていましたが、ガッツリ片付けをするのは半年くらいぶりです。生活が自堕落すぎる。
僕が掃除をするのを億劫に感じてしまう理由として、家にものが多すぎるってのがあります。おうち時間とか言い出してからそれを理由にものが爆増しているのですが、それ以前からかなり家に多くのものを置いていましたし、しかも捨てられない性分なのでどんどんものが増えていきます。サイプレス上野とロベルト吉野の「MASTERS オブ お家芸」という一人暮らしの男の家事情を歌詞にした曲があるのですが、まさにそんな感じです。投げっぱなしの割にバッチリの配置。
そんなものが多すぎてミニマリストが発狂しそうな、コクピットと化した部屋に住んでいたのでなかなか掃除まで踏み切れなかったわけです。そもそもものが多すぎるとどこから片付けたらいいか分からなくなるんですよね。順番考えて片付けないと二度手間になってしまったりするのを考えて萎えてしまう感じですね。めちゃくちゃムズい知恵の輪みたいな感じ。
言い訳ばっかりしてもどうしようもないので、早めの大掃除だと思って、気合い入れて掃除を始めたんですけど、やり始めたらそんなにかからないんですよね。大体そういう作業をする時はラジオのアーカイブを聴きながらやるんですけど、1時間半の番組を1本聴き終わるか終わらないかぐらいで粗方掃除が終わったのであまり大変だったっていう印象はなかったです。
掃除の過程は特筆するようなこともなかったんですけど、いちばんやばいなと思ったのはペットボトルゴミが多すぎてマンションのごみ収集所のかごに入り切らなかったことです。さすがにちょっと引いた。
もうひとつのある意味悪い癖で、1回掃除し始めるととことんやってしまうので、残ってるゴミさえ出してしまえばまあ暫くはガッツリ掃除しなくても良くなったんじゃないでしょうかって感じです。普段から掃除すればいいって話ではあるんですけどね。やる時とやんない時が両極端なのは本当に何かやばさを感じます。
ちなみにペットボトルはまだ1/4くらい残ってます。これと過ごしていたことがマジで怖い。
夢
最近なんかリアルな夢を見ることが多いです。夢の内容がめちゃくちゃ現実的というか、あったかもしれない現実みたいな夢をよく見る気がします。
例えば、バイトの前日にバイトに遅刻する夢を見て慌てて飛び起きたり、ゼミの課題をやってなくてバレないように即興で発表する夢を見たりしてます。なんで夢の中の俺は期日を守れないんだ。
もちろんあんまり覚えてないだけでぶっ飛んでる部分もあるんでしょうけど、夢が妙にリアルだと精神的に休まってる気がしないんですよね。そのせいで起きても疲れて二度寝することが多いです。
ちょっと気になってリアルな夢を見る理由みたいな感じで検索してみたんですけど、どうやろストレスが強くて、深層心理が悲鳴をあげてる状態らしいです。
まあ確かに色々やんなきゃいけないことがありながら無視したりしている日も多いので、そういう日はやらなきゃいけないことから目を背けているだけでやらなきゃいけないっていう状況にストレスを感じている節はありますね。
あとはそもそも生活リズムが終わっちゃってるのがあります。APEXたのち〜〜〜〜〜〜〜
前も書いたようにそもそも寝ても寝足りないので、睡眠の質を上げて行きたくて、最近はマッサージグッズとか、快眠グッズに興味があります。なんかいいものがあったら教えてください。
雑司ヶ谷
今日は大学の授業の関係で雑司ヶ谷に行ってました。
僕はこの街が好きで、今回はコロナのせいでめちゃくちゃ久しぶりなので楽しみでした。わかんない人のために説明すると、雑司ヶ谷は池袋から徒歩10分ぐらいの場所にもかかわらず、鬼子母神に代表される、歴史ある寺や神社のある風情が残る街並みが広がる場所です。大きな特徴のひとつとして、(ほぼ)チェーン店がないってのがありますね。
繰り返しになりますが、僕はこの街が好きです。池袋のそばにあるのに、まるで別世界かのような古い町並みや、昔ながらの入り組んだ道、そこら中にある個人経営の喫茶店なんかが組み合わさって、ふらふら歩き回るのには最適なんですよね。
前も夜の散歩のことを書きましたが、僕はゆっくり街とかを歩き回るのが好きです。忙しすぎる都会から逃げたさすぎて、散歩するために京都に行ったことすらあります。
雑司ヶ谷にたどり着くまでに歩く池袋なんかを代表として、都会って言われるところは色々うるさいです。単純に人が多くて物理的にうるさいってのもありますけど、色々人間関係のめんどくささとか、そこら中に広告が打ってあって、なにか急かされているような感じだとかが常に蔓延してる気がします。
そういう所で過ごしてると時々そういうのから全て離れたくなるんですよね。そこで手ごろにガス抜きが出来る雑司ヶ谷はめちゃくちゃ好きって訳です。
コロナで人も少なく、冬の寒さもあって静まり返った街をふらふらと歩き回り、古本屋なんかを見てまわり、お気に入りの喫茶店に立ち寄ってトーストとコーヒーを楽しんできました。こういう息抜きがないと社会の中で生きていけないみたいです。
まるで1人で散歩してきたみたいな文章を書いてますが、実際は4人で行動してました。これが叙述トリックらしいです。
音楽
今日はやることやった後は一日中音楽漬けでした。日が暮れるまでここ数週間くらいの好きなジャンルとか推しとかの新曲を漁りまくった後、DUSTCELLのライブを(アーカイブでですが)視聴して頭振りまくったり、鷹宮リオンの新衣装もといDJ配信でぶち上がったりしてました。
人間それぞれ色々趣味だとかやってて楽しいことには違いがあると思うんですけど、音楽を聴いてノってしまうのって生理現象なんじゃないかってレベルで共通してる部分だと思うんですよね。ジャンルによる選り好みはあっても、音楽を聴くことそのもののが嫌いな人ってのはなかなかいないと思います。
こんな調子で語ってるくらいなので、僕は音楽を聴くのが結構好きです。世に溢れてる「趣味:音楽鑑賞」よりかは聴いてると思います。僕自身がオタクだったり、日本語ラップの話しがちなのもあってそこに偏ってると思われがちなんですが、得意不得意はあるものの幅広いジャンル、世代の曲を聴いているつもりです。
ついこないだまで8~10年前くらいのヒットソングを作業用に聴いていたんですが、最近はどんどん遡って何故か90年代くらいの曲をずっと聴いています。
「何故か」とは書いたんですけど、思い当たる節はあって、父親の影響ですね。父親は部屋の棚1面がCDとかレコードで埋め尽くされているくらいで、それこそ80~90年代くらいの曲を好んで聴いているし、なんなら日本語ラップも結構聴いています。父親が運転する車とかでかけられていた曲が潜在意識に刷り込まれていて、最近発揮されているんでしょうね。年末帰省したら父親と音楽の話でもしようと思います。
そんな感じで僕は音楽を聴くのが本当に楽しいと思っていて、細々とMIX作っているのも自分が聴いてて楽しい音楽を人にも教えたいだとか、楽しいっていう気持ちを共有したいみたいなモチベーションもあります。MIX聴いてくれた人は軽率に感想送ってくれるとほんとに嬉しいです。
なんかそのうち配信とかもしてみたいなぁ。
感想
授業を受けた後に出席確認ついでにコメントを書くことってよくあるじゃないですか。僕の通っている学校だとリアクションペーパー、リアペってやつですね。
オンライン授業になってからというもの、授業を録画していつでも見られたり、アーカイブが公開されたりしている都合で、授業を好きな時に受けられることや、テストができない都合があることで、普段のコメントの成績に占める割合が増えていたり、学生のコメントが長くなっていたりする気がします。
確かに授業の最後の10分とか終わったあとに慌てて書いたものよりも好きな時に書けるコメントの方が量も質も高いし、そのようなものを求められるのは当然だと思います。
そんな事は理解してるんですけど、まーーーーじで書くことがない時ってないですか?僕はちょいちょいあります。
僕は学部の基礎科目の取り残しがあって1.2年の内に取るような授業を今ひとつ受けているのですが、3年の秋まで授業受けてたら当たり前に知っているような内容なんですよね。それについて毎回感想のコメントを求められているのですが、知っていることをもう1回聞かされて感想を書けって言われてもなかなかきついものがあります。
歴史的事実だけとかだとさらにきついですね。知ってるな〜とかそうなんだ〜ってなりがちでそこから発展的な内容を書けって言われると難しいです。
もちろん頑張って書いているんですが、課題出す側もひと工夫欲しいですよねっていう愚痴でした
会話
今日はサークルでボードゲームをやりました。よくやっているボードゲームが多かったのですが、一緒にやる人が変わるだけで、人毎のプレイングとか、ゲームの雰囲気が変わって面白いです。
ボードゲームのいい所ってそこだと思うんですよね。ひとつのゲームでもやる人によってゲーム性や、展開が変わっていく、毎回毎回ストーリーがあるのは人と人がコミュニケーションを取りながらやれるゲームならではだと思います。
もちろんゲーム自体も面白いのは前提なんですけど、リアルタイムでコミュニケーションを取ってそれがゲームと絡みながら進んでいく所が強く、なんならコミュニケーションをメインに考えている部分もあります。
ゲームをほとんどやらないけど、ボードゲームは興味はあるっていう人とボードゲームをやる機会も結構あるんですけど、そういう場合はコミュニケーションがメインになってますね。ボードゲームを肴に話が盛り上がるみたいな感じです。酒飲みながら話すのが楽しいみたいなもんです。居酒屋行く感覚でボドゲカフェ行くのとかも面白いかもしれないですね。
ボードゲームを介したコミュニケーションの面白いところはゲームと絡んでいくところだけではなくて、立場が関係なくなるところもありますね。知り合いとか親友とか、先輩とか後輩とか、男とか女とか関係なく同じ土俵に立っているので、平等な立場で会話ができるのはいいところだと思います。
そんな感じで僕はボードゲームをコミュニケーションツールとして考えてる一面があって、そこが面白いと思ってます。みなさんはどうでしょうか。